石狩のワシ派、タカ派

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小林司著「生きがいとは何か 自己実現へのみち」

小林司著「生きがいとは何か 自己実現へのみち」を読みました。小林氏の著作を読むのは「愛とは何か」に次いで2作目です。

今回読んだ「生きがいとは何か」は、「愛とは何か」以上に、古今東西の研究成果がギッシリ満載されており、著者の幅広い学識と頭能の明晰さに、あらためて感服しました。ただし、引用文が多く、また、その内容が多岐にわたるため、必ずしも読みやすい本ではありません。

「愛とは何か」を読んでいるときには全く気付きませんでしたが、著者は今回、朝日新聞を愛読する反体制派知識人の一人であることを、あえて前面に押し出しているような印象を受けました。

もちろん、このことは本の趣旨の主要な部分には影響しません。しかし、著者の主張には、明らかに、ある方面に対する偏見が見られます。それは、毎日の仕事や金儲け、名誉をえるために努力する人を全く理解しようとせず、著者の理解できない領域には生きがいはない、と決めつけていることです。

著者は、朝日新聞に掲載された一高校生の、「人間に生まれて、生きる目的も知らず、ただ名誉や利益だけを追い求める人生であっていいのでしょうか」、という未熟な主張をそのまま無批判に鵜呑みにして、これを本の出発点とします。名誉や利益をえるために、人々がどれだけ献身的な努力しているか、それが人々の幸福にどれだけ貢献しているか、理解する必要はない、と考えているのです。

著者は、終章で自分の人生を紹介します。精神科医として、週に一日半だけ診療や講義をしているが、これを生きがいと思ったことはただの一度もないといいます。また、趣味でシャーロック・ホームズに関する本を27冊出しているが、「遊びがい」があるとは思っても、生きがいとは思わないといいます。

では、著者の生きがいとは何でしょう。それは(1)家族や友人への愛、(2)斉藤秀一という平和主義者を主人公として、37年間、原稿用紙5000枚書いても完結しないノンフィクションの執筆、(3)35年間かかわっている精神医学(英和)事典の編集だというのです。

趣味を生きがいと評価することは決してありません。「生きがいは俳句です」といえるのは正岡子規のような偉大な人だけだ、と断言するのです。

著者が生きがいと認め、自己実現の例として提示するものは、間違いなく、素晴らしい生きがいであり、自己実現でしょう。しかし、著者が評価外と考え、価値を認めない分野にも、素晴らしい生きがいや自己実現が存在することは間違いない、と私は信じます。生きがいや自己実現を特別の分野に限定する必要はない、と考えるからです。

自己実現とは、もう一つの生きがいである、と私は生物学的に定義します。動物にとって、第一義的な生きがいは子育てです。単独で生活する野生動物に、それ以外の生きがいはありません。自己実現とは、人や霊長類など、群れをつくって生活する社会的な動物が、自己の役割や存在意義を社会的に評価してもらおうとする行動である、というのが私の定義です。この定義の当否については、今後さらに研究を深めたいと考えています。