石狩のワシ派、タカ派

札幌と石狩川流域の猛禽類の狩りと子育てを動画で記録します。

映画「ヴィクトリア女王 最期の秘密」を観て

2017年公開の映画「ヴィクトリア女王 最期の秘密」を観ました。晩年のヴィクトリア女王とインド人イスラム教徒の従僕アブドゥールの交流を描いた、「ほとんど真実のドラマ」ということです。

最初は、「ドライビング・ミス・デイジー」のような、老婆と従僕のほのぼのとした心の交流で済むのかと思いましたが、今回の老婆は世界帝国の女帝です。しかも、従僕は、ダイアナ妃の交際相手としてさえ問題となった異教徒です。

一時は、孝謙上皇称徳天皇)と弓削の道鏡のような関係、もしくはアレクサンドラ皇后とラスプーチンのような関係になるかと、内心、ハラハラしましたが、何とか危機は回避されました。

ヴィクトリア女王でさえ、こうなるとすると、女帝というものが、いかに危ういものかということです。同じことは、以前ブログにも書いた、映画「二人の女王 メアリーとエリザベス」でも指摘されていました。

女帝の夫や宗教的な指導者は、しばしば与えられた分をわきまえず、自ら皇帝になろうとしたり、また、女帝を通して影響力を振るおうとする危険な存在だというのです。

ところで、男帝の場合でも、同じことは起こり得るのに、何故、女帝のスキャンダルばかり強調されるのでしょうか。

女帝が思い通りに権力を行使すると、それまでの秩序が乱れ、革命的な変化が起こるからです。女と男では価値観が違うのですから、革命的な変化が起こるのは当然です。

女帝のスキャンダルと非難されているものは、実は、女帝が起こした革命が、男社会からの反撃で、みじめに失敗した姿かもしれません。女帝の時代が何代にもわたって継続されていれば、社会の秩序そのものが変わり、スキャンダルと思われたものがノーマルとなっていたはずですから。