石狩のワシ派、タカ派

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「嵐が丘」は愛の強さを測定する

昨夜、アマゾンプライムで、1992年に公開された「嵐が丘」を観ました。この映画は、以前、映画館でも見ているので、少なくとも2度目です。しかし、30年近くも前の映画とは思いませんでした。

記憶では、やや中途半端に終わる印象が残っていましたが、今回は、よくまとまっていると思いました。おそらく、中途半端と感じたのは、ローレンス・オリビエ主演の白黒映画「嵐が丘」の方だったかもしれません。

エミリー・ブロンテの「嵐が丘」は、愛の強さを測定する物語です。ブロンテは、ヒースクリフの偏執狂的な情熱(欲望)を、キャサリンに対する純粋な愛と考えました。もちろん、それはブロンテの誤解です。

それはともかく、愛の強さを如何に測定するか、ブロンテは考えました。なぜなら、愛の強さそれ自体は、測定も表現もできないものだからです。

ブロンテは、ヒースクリフの愛を天秤の片方の皿にのせ、反対側の皿に、二人の愛を妨げた者たちに対する復讐をのせました。そして、彼らにどれだけ冷酷非情になれるか、復讐の残忍さによって、キャサリンに対する愛の強さを表現しようとしたのです。

嵐が丘」で主演した二人の俳優は、4年後の1996年、「イングリッシュ・ペイシェント」でも共演し、むしろアカデミー賞に輝いた、この作品で有名になりました。

イングリッシュ・ペイシェント」もまた、愛の強さを測定する物語です。作者は、明らかに「嵐が丘」を意識しています。

重傷を負った不倫関係にある人妻、キャサリン・クリフトン(どこかで聞いた名前です)に対する、主人公の愛の強さをいかに測定するか。それはキャサリンを救うために支払う犠牲の大きさで表現されました。

瀕死のキャサリンの待つ、サハラ砂漠の洞窟に行くため、主人公は、飛行機の燃料と交換に、貴重な地図をドイツ軍に渡します。それは、考古学的な研究のための地図ですが、同時に、敵地攻撃にも使える精巧なものでした。地図を渡すことは、みかたの兵士の命を危険にさらす裏切り行為であり、死刑に値する利敵行為です。

(注;主人公はハンガリー人の貴族で、イギリス人の患者、と呼ばれていても、実際はイギリス人ではありません。しかし、今、彼はイギリス側にいるので、捕まれば死刑になることは間違いないでしょう。)

戦争で戦う、みかたを裏切ってまでもキャサリンを救いたい、それほどまでに主人公の愛は強かった、といいたいのです。

もちろん、二つの「嵐が丘」は、測定できない愛の強さを測定するために創造された、虚構に過ぎません。