夜中に目が覚めたとき、枕元のスマホから朗読の声が流れていました。
しかし、これは寝るとき選んだ本ではありません。いつものように、スマホが勝手に選んだものです。
登場人物の名前は違いますが、この話はどこかで聞いたことがある内容です。
日露戦争当時の仙台が舞台で、そこに登場する清国からの留学生は、明らかに魯迅です。
太宰がこんな小説を書くとは、大変な驚きです。
https://www.youtube.com/watch?v=B5qmZ5iYGAY
太宰治の人間像は、その小説を読めば読むほど、否、聴けば聴くほど「ヴィヨンの妻」の夫のイメージから遠く離れて行きます。
「国学」って何?の現代人には、とても想像できないことですが、敗戦前の普通の知識人は、明治維新を先導した国学の役割を、常識として、理解していたようです。
当然、何故、あのような「国体」が選ばれたのか、その必然性も理解していました。
島崎藤村の「夜明け前」は、まさに、それをテーマとした小説です。
「惜別」の魯迅も、国学を学び、維新で果たした役割を高く評価しています。
「惜別」は、魯迅を中心にすえた感動的な小説ですが、1点、気になったことがあります。
それは、日本人の誠意や心情、常識や価値観が、人類共通のものと信じ、少なくとも、中国人を含む東洋人には、通じるはず、という甘い、誤った認識が、あの当時から、21世紀の現在に至るまで、性懲りもなく、いまだに続いているということです。