石狩のワシ派、タカ派

札幌と石狩川流域の猛禽類の狩りと子育てを動画で記録します。

ロシアは国際法を守る国ではない

今朝の産経新聞オンライン版に、

77年前の苦い歴史と国守る使命 ジャーナリスト・井上和彦

という記事が掲載されています。

昭和20年8月9日に参戦したソ連軍の、8月15日以降も続いた、国際法を無視した蛮行に関する記事です。

いとも簡単に約束を反故(ほご)にし、民間人虐殺、略奪、婦女暴行、強制連行など、現在のウクライナで行われているロシアの蛮行は77年前にわが国が経験した苦い記憶と重なって見える。

https://www.sankei.com/article/20221007-TNQDWTFUMVIYVMDTEOBH7QGGTY/

ロシア人の本性は、77年前と少しも変わっていません。

ウクライナ戦争におけるロシアの侵略に対して、戦わずして逃げる選択肢も重んじるべきだとの意見も散見される今日の日本で、終戦後も身を挺(てい)して同胞を守り抜いた軍人と、真岡の女子電話交換手のことを思わずにはいられない。

終戦後も悲劇は続き、

樺太から女性らを中心に北海道への疎開が行われたのだが、終戦から1週間後の8月22日、疎開船3隻「小笠原丸」「第二号新興丸」「泰東丸」がソ連軍潜水艦の攻撃を受けて2隻が沈没し、合わせて1708人が死亡する大事件が起きた。「三船殉難事件」だ。

ソ連もロシアも、もともと国際法を守るような、まともな国ではなかったのです。

「泰東丸」は白旗を掲げ、戦う意思のないことを示したがソ連軍は攻撃を続け同船は沈没、667人が死亡した。ソ連国際法を守る国ではなかったのだ。このソ連の蛮行はウクライナで人道回廊を設置しながらも避難民を攻撃するロシア軍の姿にダブって見える。

しかし、日本の左翼やマスコミは、ソ連やロシアに協力します。

ところがこの三船殉難事件は、あまり知られていない。一方、沖縄戦前、米潜水艦の攻撃を受け1484人が犠牲となった学童疎開船「対馬丸」撃沈事件はよく知られている。同船が撃沈されたのは昭和19年8月22日で、偶然にも1年後の同じ日に樺太からの疎開船の悲劇が起きた。この認知度の差の背景には、真岡の乙女の悲劇を描いた映画『樺太1945夏 氷雪の門』の上映がソ連の抗議によって妨害されたように、ソ連に共鳴する当時の日本の左派勢力の工作が見え隠れする

このダブルスタンダードは、今も変わっていないと思います。