私の学生時代、成田は、革命家気取りの学生や労働者にとって、現在の普天間・辺野古よりもずっと魅力的な場所でした。
滑走路はほぼ完成していたものの、取り残された1軒の農家の小屋と農地が砦となり、国際空港がいつ開業できるか、見当もつきませんでした。
現役時代、成田空港を利用するたびに、なぜあんな馬鹿な闘争が起こったのか、と毎回考えたものですが、成田闘争を知らない観光客には何の感慨もないでしょうね。
岡本裕明氏が、
「マイナンバーカードが当たり前になる日」というブログを書いています。
http://blog.livedoor.jp/fromvancouver/archives/52599210.html
健康保険証と紐づけられることになったマイナンバーカードですが、
先々には運転免許証も兼ねる予定で、そうなればカードの普及率は現在の5割程度から一気に100%近くとなるはずで、1968年の佐藤内閣時代に源流がある国民背番号制度構想から55年近くたって、ようやく終着点が見えてきたとも言えます。
国民背番号制度が激しい議論となり、とん挫したのは「管理社会」への抵抗でした。これは言わば「国家から捕捉されない自由」とも言えます。
端的に言えば、脱税の自由を確保するためです。
以前、日本の税務の大御所先生と話をしていた際、「近いうちに脱税は完全捕捉されます。仮に今、税金を払わなくても死んだら全部丸見えになるので、脱税じゃなくて税の繰り延べみたいなもの」と言われて「ついにそこまで来たのか?」と感慨深いものを感じました。コロナ禍で国の支援金がずいぶん不正利用されたのですが、「わかりっこない」と高をくくった連中が、ごっそり見つかりつつあるのです。
日本の野党や団塊世代の老人は、いまだに革命家気取りが抜けず、「スパイ防止法」ができれば、自分が捜査対象になりかねないと考え、大反対します。
野党や朝日新聞が大反対することは、時がたつと当たり前となり、なぜあんなに大反対したか、理解に苦しむことばかりです。