ここ2、3日、オジロワシが狩りから戻って来るのを待つ間、「らじるらじる」の聞き逃しで、永井荷風の「フランス物語」や歴史再発見、文化講演会などを聴いています。
今日、印象に残っているのは、直木賞作家、門井慶喜氏の「官営工場~国家独立の最前線」と題する文化講演会です。
講演では、富岡製糸場、大阪造幣局(寮)、八幡製鉄所の3か所が取り上げられ、わかりやすく、また、大変面白く解説されました。
富岡製糸場は官営模範工場として設立され、輸出に耐える、均質・高品質の生糸の生産技術を、日本全国に広めるために造られたといいます。
金の含有量がバラバラな小判では、貿易の決済には不都合であり、国際的に通用する高純度の金貨を製造するため、大阪に造幣局が造られたこと、などは私にとって目からウロコの新発見でした。
しかし、それ以上に驚いたのは、官営八幡製鉄所が、日清戦争後に急いで造られたものの、日露戦争には間には合わなかった、という話です。山県有朋を中心とする明治の藩閥内閣は、官営製鉄所を建設するための予算案を何度も提出したが、帝国議会によってことごとく否決された、というのです。
明治の富国強兵は、お蚕(かいこ)さんの上に乗ったもので、軍艦用の鉄も自前できなかった、ということです。生糸を輸出したお金で、兵器や鉄を輸入していたのです。
なぜそうなったのか。「(帝国)議会は(藩閥)政府に反対するために造られた」、と門井氏は極めて端的、明快に、その理由を解説します。これを聞いたとき、私は、ストンと腑に落ちるのを感じました。
日本の議会は、設立の当初から、政府に対しては、何でもかんでも反対するのが伝統だった、ということです。確かに、私のイメージする国会は、常に、政府に反対し、審議拒否やら棒倒しやらを繰り返してきました。