石狩のワシ派、タカ派

札幌と石狩川流域の猛禽類の狩りと子育てを動画で記録します。

島崎藤村の「夜明け前」を聴く

吹雪に閉じ込められた令和4年の元日、Youtubeを検索して藤村の「夜明け前」を聴き始めました。長いので、やっと3分の1か5分の1聴いた程度でしょう。

その第一印象は、幕末を舞台とした自然主義文学というので、暗く厳しい世界を予想していたところ、あにはからんや、欧米人の眼に映った幕末日本の農民や庶民は、世界一豊かで、倫理観が高く、幸福な人々だった、という渡辺京二「逝きし世の面影」の世界そのものでした。

「逝きし世の面影」の世界は、著者の筆で一部美化されているかも知れない、とやや警戒していましたが、「夜明け前」でその信憑性が裏書きされました。

ペリー率いる4艘の黒船が浦賀に現れた年は、年初から天変地異の不吉な予兆があったといいます。

夏には旱魃のため伊勢神宮に神木を送って雨ごいの祈祷をする事態に追い込まれ、秋には前代未聞の大地震安政の大地震)を経験しています。

中山道馬籠(まごめ)宿でも、老人や子供を収容する避難所がつくられ、その様子は3.11東北大震災のようです。

驚いたことに、次の年には、うち続く天変地異や疫病の厄を払うため、村の長老の発案で、年の途中に年を改める、二度目の正月を祝っています。何と柔軟な行政でしょう。

天変地異の間には、2000人を超える尾張藩主の華やかな大名行列や、新築された舞台で、村の顔役による本格的な歌舞伎狂言が3日間続く、楽しい祭りが行われるなど、豊かで余裕のある時間が流れます。

日本人は、時代をさかのぼる程、余裕のある豊かな暮らしを楽しんでいた、かのようです。

その上、徳川の為政が隅々まで行き届いていた昔はもっと平穏で良かった、と長老が回顧するのですから、戦後の歴史教育は、やはり偏向しているようです。