核放棄から始まったウクライナ危機、力なき外交の現実
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/68942
と題する、織田邦男氏の素晴らしい記事が、JBpress誌に載りました。
確かに、ソ連邦から独立したとき、ウクライナは核保有国でした。
結論を先に言えば、ウクライナは、核を放棄すべきではなかったのです。
1991年、ソ連邦は崩壊した。ソ連邦の一部であったウクライナは、独立を果たした。この時、ウクライナ領内には約1900発の核弾頭が取り残されていた。
ウクライナは独立国として、この核弾頭保持の意向を表明した。だが、ロシアはもちろんのこと、米国、英国が核拡散防止の観点からこれに強く反対した。
交渉の結果、ウクライナが核を放棄し、その代わりに、すべての核保有国がウクライナの「領土保全、政治的独立」を保障する約束がなされます。
これが「ブタペスト覚書」(1994.12.5)である。
しかし、
2014年3月、クリミア半島はロシアに併合され、一夜にして「ブタペスト覚書」は反故にされた。
歴史に「もし」は禁物だが、もし1900発の核弾頭のうち、10発でもウクライナが引き続き保有していれば、クリミア半島の併合はなかっただろう。また現在の緊迫したウクライナ情勢もなかったはずだ。
核放棄が侵略と戦争を惹起した、きわめて教訓的な世界記憶遺産です。
これを教訓に、北朝鮮は、絶対に核を放棄しないでしょう。
また、日本に核がないことによって、極東の不安定性が助長されていることも、間違いありません。