石狩のワシ派、タカ派

札幌と石狩川流域の猛禽類の狩りと子育てを動画で記録します。

クラーク博士とライスカレーの都市伝説

石狩図書館で「OTONE」という札幌中心のグルメ雑誌を立ち読みしたら、クラーク博士とライスカレーの都市伝説、が取り上げられていました。

昨年の12月、まだ熱心にフェイスブックに書いていたころ、私は次のようなことを書きました。

阿川佐和子が、父親である阿川弘之の、食に関する随筆を朗読するCDを聴きました。

「食味風々録」という随筆で、その第1作は「米の味・カレーの味」という題です。主食である米には、日本人の誰もが深い思い入れをもっています。にもかかわらず、「米飯食を禁ず」という校則をもった学校があったというのです。

それは、なんと札幌農学校でした。クラーク博士には、深い教育的配慮があったのでしょう。そこには但し書きがありました。「ライスカレーは、その限りに非ず。」ここから、又吉に負けない、ライスカレーのうんちくが始まります。

阿川の知人に、ただ一人、米はしいて食べようとは思わない、という変人が登場します。それは、阿川が師と仰ぐ、小説の神様志賀直哉です。志賀が、どうして米飯嫌いになったか、推理はさらにさかのぼります。

志賀直哉が師と仰ぐ人は、なんと内村鑑三だというのです。内村鑑三の師は、いうまでもなくクラーク博士です。この推理、本当に、つながっているのでしょうか。

するとすぐ、早稲田大学出身の方から、それは根拠のない都市伝説ですね、という厳しいご指摘とともに、北海道大学が公表している資料が提示されました。

資料を読んだ私は、すぐに反論を書きました。

〇〇先生、素晴らしい資料、有難うございます。資料の中にある「ただ、当時の状況としては、開拓使顧問のホーレス・ケプロンらによるパン、肉食の奨励に対して、農学校においてもこれを採用しており、恵迪寮史(昭和8年刊行)には、「札幌農学校・札幌女学校等はパン、洋食をもって常食と定め、東京より札幌移転の時も、男女学生分小麦粉七万三千斤を用意し、米はライスカレーの外には用いるを禁じた位である」と記述されています。」という部分を読むと、クラーク博士は出てきませんが、それ以外は、事実に即しているようです。師弟関係をたどったのは、阿川氏の脚色かもしれませんが。

日本人は、こんなに素晴らしい根拠にもとづく主張を、細部にこだわり、根拠のない都市伝説と厳しく批判します。朝鮮半島の人々がこの話しを聞いたら、ビックリ仰天して、ライスカレーを発明したのは私達だ、と言い出すかもしれません。

雑誌のカレー特集の記事を読み、古い話しを思い出した次第です。