産経新聞の記事によると、球磨川が氾濫した背景には、地域住民の民主的な選択があったようです。
記事によると、球磨川の流域では、
昭和40年まで3年連続で起きた水害を機に治水ダム計画が進んだが、地元の反対を受けて中止された。その後、国や流域自治体、地元住民で治水対策を協議し続けてきたが、抜本策が打ち出せないまま今回、想定を上回る甚大な豪雨被害が起きた。
というのです。
具体的には、
球磨川流域では40年7月に大規模な水害が発生。翌41年、国は球磨川支流の川辺川に治水を目的としたダムの計画を発表した。
しかし、地元の反対などで事業は進まず平成20年、蒲島郁夫知事が計画反対を表明。翌年、民主党政権が計画を中止した。
その後、国や県、流域自治体が堤防かさ上げや川底の掘削などの治水策を協議してきたが、議論はまとまら
なかった、というのです。
こういうのを、何というのでしょうか。
これが、もしも国防に関わる問題なら、川の氾濫では済みません。