ようやく一般人の手の届くところまで進歩したAI技術に、岡本裕明氏が、
Chat GPT、是非論:出来すぎるチャットポッドが波紋を呼ぶわけ
と題する記事で、旧世代人的な拒否感、または危惧を示しています。
https://agora-web.jp/archives/230207091856.html
以下は、この記事に書き込んだ、私のコメントです。
ファミコンができたとき、子供たちが広場で遊ばなくなり、子供の健やかな成長が妨げられると心配しました。さらに、パソコンが普及して、学生のレポートがウイキペディアやネットのコピー&ペーストばかりになると騒がれました。しかし、新しい世代は、与えられた環境を乗り越えて成長するので、旧世代の心配はほとんど杞憂に終わります。
今回は、学者の論文やハイテク企業のコンピューター・プログラムがチャットGPTで書かれるばかりでなく、小説や音楽などの芸術作品まで創造されてしまうと心配されています。
一般人が、チャットGPTを使って作る論文や芸術作品で、学会や大衆が満足し、学者や芸術家がそれ以上のものを創造できないなら、学者も芸術家も消滅するでしょう。プロが素人と同程度の仕事しかできなくなったら、プロの存在意義はありません。
ネット空間や膨大な書物の中に存在する過去の業績を結集して、現時点での最適解を導く能力は、人よりAIの方が格段に優れています。この先、〇〇GPTが各分野で造られ、便利に使われるようになるでしょう。
しかし、コンピューターに負けてもプロ棋士が消滅しなかったように、〇〇GPTがいくら進化しても、独創的な人の魅力はなくなりません。〇〇GPTの先を行く独創的な研究も生まれ続けるでしょう。