本日は、快晴・無風、絶好のスキー日和(びより)、ワシ見日和でしたが、前日からの大雪のため、車庫の屋根をおおう積雪が小学生の背丈を超え、ついに雪下ろしから逃げられなくなりました。
ここ数日間に積もった新雪は軽かったものの、雪は下に行くほど固く締り、下半分はエスキモーのイグルーの材料にもなりそうな硬さで、なおかつ重く、1時間半の作業が終わった時の疲労は、クロカン・スキーのレベルを遥かに超えていました。
スキーとワシ見をキャンセルし、その代りに聴いた佐藤春夫の台湾紀行は、極めて新鮮で強烈な印象でした。
下の「旅びと」には、佐藤がなぜ台湾旅行に出たか、その理由がぼんやりと描かれています。
後年、佐藤は、同棲中の「嫌いな女」と別れ、谷崎の2番目?の妻である「好きな女」と結婚しますが、この時期、問題がこじれて、佐藤は神経衰弱になっていたようです。
一見、大英帝国の植民地支配を連想させるような場面もありますが、日本人は、基本的にイギリス人ほど非情ではありません。
下の「霧社」も同時期の紀行文です。
霧社とはどこか調べたところ、130名以上の日本人が台湾の首狩り族に殺され、その結果、日本軍が出動して数百人の首狩り族が処刑された、1930年の悲惨な「霧社事件」が出てきました。
この紀行は、「霧社事件」より10年以上も前に行われています。
にもかかわらず、佐藤春夫の「霧社」にも小規模な皆殺し事件が記され、日本軍の小部隊が出動しています。
植民地支配の難しさです。
男の仕事は、3つだけ。狩りと戦争と祭り、という原住民の言葉が強く印象に残っています。
前の大戦さえなければ、台湾は今でも日本の一部であったかと思うと、深く考えさせられる紀行文です。