Youtubeの朗読サイト「白檀のThe・文学」で、高村光雲の「幕末維新懐古談②」を聴き、その面白さに感動しました。
もちろん、面白さは「懐古談①」も同様ですが、今回は高村光雲の代表作である「老猿」の創作経緯に、いたく驚いた次第です。
https://www.youtube.com/watch?v=5lVw0td1zzU
「老猿」は、栃の木に彫られた、想像以上に大きな木彫です。
素材となった栃の木は、光雲みずから、栃木県の山奥まで足を運び、断崖に根を張る、直径2メートルの巨木を、3円で買いとったものです。
栃の木が多いため栃木県と命名された、という説があるほど多く生えていた栃の木は、当時、ただ同然の値段で手に入りました。
というのは、足尾銅山が開発されたおかげで鉄道が敷かれ、米の穫れなかった土地にも米が運ばれるようになり、面倒な手間をかけて、栃の実から栃餅をつくって食べる必要がなくなったからです。
おかげで、栃の木は邪魔者あつかいされていたのです。
3円で買った栃の木ですが、切り倒して東京まで運ぶ、足かけ6カ月にもおよぶ辛苦は、一編のドラマを構成しています。その費用は、何と200円を超えます。
運ばれた栃の木の4分の1、約350キロの原木から彫り出された「老猿」は、シカゴの万国博覧会に出品されます。
念のため、上野の国立博物館にある「老猿」の写真を見ましたが、どことなくロダンの「考える人」を連想してしまうのは、私だけでしょうか。