石狩のワシ派、タカ派

札幌と石狩川流域の猛禽類の狩りと子育てを動画で記録します。

サマセット・モームの「赤毛」を聴く

昨夜、モームの「赤毛」を朗読で聴きました。中野好夫の訳を、草野大悟が朗読したもので、これも今回で二度目です。聴きながら記憶が呼び覚まされるのを感じましたが、こんなことを前回聴いたときも考えたかどうか、まったく記憶にありません。

サマセット・モームは好きな作家で、若い頃「月と六ペンス」の他、何冊かの本を読んでいます。その後、モームがスパイだったと知っても、何の影響もありませんでした。戦死を覚悟して兵士を志願した愛国者が、身体的障害のために志を果たせず、有名作家としての経歴を生かして、スパイにならないかと誘われたとき、それを辞退する理由はありません。三島由紀夫でも、状況が許せば同じことをしたでしょう。しかし、この件は、「赤毛」とは何の関係もありません。 

赤毛」の舞台は、「月と六ペンス」と同じ、サンゴ礁に囲まれた南太平洋の小島で、おもな登場人物は3人だけです。25歳の時、結核のため余命宣告を受け、北欧からこの島に来て健康を回復し、その後25年間住み続けている偏屈な老人と現地人の妻。そして、もう一人は、分散する小島の間を行き来して物資を輸送する、薄汚れた原動機付き帆船(スクーナー)の船長をしているという、でっぷりと肥え、頭の禿げた白人男です。

遠藤周作は、「恋愛とは何か」を書くとき、この小説のことを想起したでしょうか。「赤毛」は、きわめて巧妙に構成された小説です。まるで、三島由紀夫の「潮騒」の後日談、イギリスなら、生きていた「ロミオとジュリエット」の後日談、のような話なのです。フィクションとしては、実に面白く、よく書けていると思います。しかし、「愛とは何か 悟りとは何か」を書いたものとして、この小説の悲しい結末を認めることはできません。

これは、愛と恋愛を区別しない小説家の、巧妙なフィクションに過ぎないからです。もちろん、小説の素晴らしい出来栄えを褒めているのであって、非難する積りはありません。