石狩のワシ派、タカ派

札幌と石狩川流域の猛禽類の狩りと子育てを動画で記録します。

礼文島の金環食

早朝に、松本清張の「金環食」をYoutubeで聴き、いたく感動しました。

前にも、図書館で借りたCDで聴いたことがあるような気がして、ブログを検索しますが、何も出てきませんでした。

実話をもとにしたものか、まったくのフィクションか、ネットで調べたところ、金環食の観測日には2カ月のずれがあるものの、事実に即して書かれたものでした。もちろん小説らしい肉付けは、たっぷりなされています。

ネットで調べると、礼文島には金環食観測地点の記念碑が建っており、次に行くときは、ぜひ立ち寄ってみたいものです。

金環日蝕記念碑の今日・明日の天気 週末の天気・紫外線情報【お出かけスポット天気】 - 日本気象協会 tenki.jp

2020年8月に書かれた、「コロナと清張」と題するブログを読むと、

当時13歳の筆者は、この出来事を伝える新聞記事を鮮明に覚えている。金環をコロナと呼ぶことも、英語を敵性語として避ける雰囲気がまだあったから妙に新鮮だった。後になって清張が1960年に書いた「金環食」で、礼文島にはアメリカの観測隊もいて、日本の観測陣とは日食予測地を違えて観測結果を競っていた経緯を知り、今なお少国民のささやかな反米感情を宿していた筆者は、礼文島での時ならぬ日米の科学の鍔迫り合いに興奮さえした。

と書かれています。

https://wyess11.xsrv.jp/main/2020/08/13/coronaseicho/

ところが、最近発見された資料に基づいて書かれた報告書によると、

中桐正夫[18]は「日本は独自の計算で日食帯の予報位置の中心線が600 mずれているとの結果を得ており,アメリカ隊との距離が600 m南北の方向にずれていたのである。(中略)結果は日本隊が食中心で観測し,アメリカ隊は食帯の端っこの方で何とか観測に成功したというものであった.」と述べている.

と、小説の通りであるが、しかし、実際には、

アメリカ隊も下保茂[7]の地図に示されているとおり,日本が予想した中心線近くで観測を行っていたのである.アメリカ隊が日食の前に東京天文台の研究者と討論を行い,日本の説明に納得して廣瀬説にしたがって観測地を移動していたと萩原雄祐[19]も書いている.

逆に、同じ日本人でも、東京天文台の計算を無視して、

日本の予報中心線より約900 mも北西に離れた地点で観測していた京都大学(北班)や日本映画社もベイリービーズの撮影に成功していたのである.

とのことです。

https://www.asj.or.jp/jp/activities/geppou/item/113-11_702.pdf

当時撮影された、鮮明な金環食ベイリービーズの写真もネットに載せられていますが、二次利用不可、と書かれているので、写真は載せられません。下記のリンクでご覧ください。

https://eclipse-navi.com/ichiran/nendai/1900to1999/1948.html