古森氏が、JBpress誌に書いている記事、
「新型コロナ、イタリアの悲劇は中国依存のツケか」疲弊していたイタリア経済、「一帯一路」に活路を求めたが
を読み、前日、妻が買い物をしている間に、書店で立ち読みした、新書の1節を思い出しました。
その前に、古森氏が紹介しているアメリカ人研究者の書いた論文の内容をザッと紹介すると、中国を追い抜く勢いで武漢ウイルスが蔓延し、死者数が増えているイタリアとイランは、ともに中国の「一帯一路」の罠にはまった国だ、というものです。
それだけでは十分に説明できないだろうとして、古森氏は、中国に配慮しすぎて、春節帰りの中国人に対する隔離検疫が遅れ、中国からの訪問団と親密な会食パーティーをした、イタリア政府の姿勢に問題があった、と書いています。
「一帯一路」とは、中国で過剰となった鉄鋼やセメントを、中国人労働者とともに、援助という形で輸出し、相手国を借金漬けにして支配しようとする、極めて巧妙な政策です。
アフリカなどの独裁国家なら、独裁者に高額の賄賂を渡せば、受け入れさせるのは簡単かも知れません。
アメリカに経済封鎖されているイランや、経済的に疲弊しているイタリアでは、藁をもつかむ思いで、「一帯一路」に縋りついたのかも知れません。
そこで、立ち読みした新書にもどります。それは、
橘玲著、「もっと言ってはいけない」 (新潮新書) で、立ち読みしたのは、その1節、「日本が華僑に侵されなかった」真相、です。せいぜい1~2ページです。
東南アジアの国々の経済は、ほとんど華僑財閥によって支配されているのに、日本には中華街はあるものの、華僑財閥がないのはなぜか、という素朴な疑問への解答です。
華僑とは、中国を牛耳る主要な民族ではなく、むしろ迫害された客家(はっか)と呼ばれる少数民族に属する人々です。本土から逃げ出し、同族同士、協力し合うことで、新天地で繁栄した人々です。
東南アジアでは大成功して華僑財閥が形成されたのに、日本ではなぜそうならなかったか。橘氏の結論は単純明快です。日本人に対しては、知的優位性がないから、というものです。
だから、この本のタイトルは、「もっと言ってはいけない」 なのです。「氏か、育ちか」「遺伝か、教育か」という難しい問題に、橘氏は科学的データで武装して、極めて言いにくいことを、堂々と言います。
学力や能力、貧富の差は、ほとんど遺伝的な資質によって決まる、と。
救いのない話ですが、それでも、橘氏の本は、どれもベストセラーになっています。