石狩のワシ派、タカ派

札幌と石狩川流域の猛禽類の狩りと子育てを動画で記録します。

野鳥の「人口論」

昨夜放送された「ワイルドライフ」の続きです。ニューカレドニアには、危険な捕食者がいないため、地上生活に順応し、立派な翼をもっているのに飛べない、カグーという鳥がいます。カグーにとって、捕食者がいない、ということは地上の楽園を意味するようですが、それは違います。

昨年の夏、「愛とは何か 悟りとは何か」をアマゾンから電子出版したのち、私は、青空文庫からダウンロードしたマルサスの「人口論(第6版)」を読みました。人口は幾何級数的に、ネズミ算式に増加するが、食料は算術級数的に、数%ずつ増加させるのがやっとだ、というマルサスの主張を批判しようと思ったからです。しかし、それはとんでもない心得違いでした。

「愛とは何か 悟りとは何か」は、まさに「人口論」だったからです。「愛と悟り」には、人口過剰による飢餓地獄と略奪戦争に苦しんできた人類にとって、人口減少社会は、待ちに待った夢の実現なのに、なぜそれを喜ばないのか、という趣旨が含まれています。

カグーは、雄の兄弟が1羽の雌を共有し、しかも、この家族でたった1羽のヒナを育てる、完全一妻多夫制です。ダチョウやタマシギのように、卵を雄に預け、次の雄を求めて移動する、自由度の高い雌を中心とした、多夫制ではありません。

広く読まれている第1版にはありませんが、「人口論」の第6版には、チベットやヒマラヤの高地に見られる一妻多夫制が取り上げられています。カグーと人類に共通する一妻多夫制の特徴は、生産性の低い、限られた狭い土地に住み、天敵がいないことです。一妻多夫制は、この過酷な環境で飢餓地獄を避けるため、人口増加を抑制するセルフコントロール・システムとして進化したものなのです。決して、地上の楽園ではありません。あぶれた女性や雌はどうなってしまうのでしょう。 

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