石狩のワシ派、タカ派

札幌と石狩川流域の猛禽類の狩りと子育てを動画で記録します。

ゴータマ・ブッダの悟りとは何か

ゴータマ・ブッダが説法を始める前の古代インドでは、すべての出家修行者は輪廻からの解脱を求めて出家し、修行していました。輪廻から解脱するには、永遠不滅のアートマン(自己)を知り、梵我一如の境地に到達する必要があります。そして、アートマンを知るには、特殊な瞑想と命がけの苦行によって、積もり積もった前世の業を消滅させる必要がある、と信じられていたのです。

このような途方もないフィクションを成立させるために、どれほど精密な形而上学を練り上げる必要があるのか、私には想像もつきません。

ゴータマ・ブッダは、足掛け7年間、伝統にのっとり、瞑想と苦行に努めたすえに悟りました。しかし、菩提樹の下で禅定するうちに、あけの明星をみて豁然と開悟したのではありません。

ブッダの悟りは、次の2点です。輪廻からの解脱は、誰一人、見ることも経験することもできない形而上学であり、フィクションである。フィクションを目標としていくら修行しても無意味である、というのが第一の悟りです。

人を苦しめているものが輪廻というフィクションではないとすれば、それは何か。何から解脱すれば人は永遠の平安(涅槃)をえられるのか、ということが問題になります。ブッダは、人を苦しめているものの正体は煩悩であり、涅槃に到達するには、煩悩から解脱するしかない、と悟ります。これが第二の悟りです。

ゴータマ・ブッダの説く解脱や涅槃(ニルヴァーナ)は、すべての煩悩が魔法のように吹き消された、空想の世界ではありません。ブッダの説く解脱とは、家族愛に包まれた家庭を捨て、富と名誉を求めて闘う社会生活を完全に捨てて、出家することにほかなりません。ブッダの説く涅槃とは、執着するものをすべて捨てて、よく気をつけて、諸々の欲望を回避し、死ぬまで犀の角のように乞食遊行することをいいます。これが、ブッダの説く苦楽中道なのです。