石狩のワシ派、タカ派

札幌と石狩川流域の猛禽類の狩りと子育てを動画で記録します。

合理的な思想が通じる国とそうでない国

今日のJBpress誌に、池田信夫氏が「日本は石炭火力で多くの人々の命を救える宗教になった環境運動にだまされてはいけない、という論文を掲載しています。

宗教になった環境運動とは、科学者でも専門家でもないスェーデンの少女が、ジャンヌダルクのように注目を浴び、「もう人類に残された時間はない」と金切り声で叫び、事実や論理ではなく「私を信じるか、それとも死か」に類する選択を迫った、ということでしょう。

スェーデンの少女が、ようやく石炭を使えるようになった発展途上国の人々に、石炭を捨てて太陽光発電風力発電を、と迫ったとすれば、押しつけがましいけれども、一応筋が通っています。

私の印象では、ドイツから北のヨーロッパ人は、たとえ生活が少しくらい不便になったり、経済的な不利益をこうむったとしても、合理的と信じる生き方を選ぶ傾向が強いと思います。

しかし、日本人はそうではありません。池田氏の論文は合理的で、私には強い説得力を感じますが、科学的で合理的な主張だとしても、日本では通りません。少しでも不利益をこうむる人がいれば、一人でも猛烈に反対するからです。

トリチウムは水で希釈すれば健康にも科学的にも問題なく、どこでもそうしている、と言っても、日本では通用しません。中国に対する抑止力を維持しつつ、普天間の危険性を除去し、沖縄の経済を活性化するには、1日も早く辺野古に移転することが合理的だ、と言っても、沖縄の人々には通じません。

合理的な思想が通じるかどうかの視点で見ると、日本人は、ドイツや北欧の人々より、朝鮮半島の人々に、ずっと近いと思います。