石狩のワシ派、タカ派

札幌と石狩川流域の猛禽類の狩りと子育てを動画で記録します。

「ひかる藤原」ではなく何故「ひかる源氏」なのか

呉座勇一氏の「頼朝と義時」を興味深く読んでいます。「鎌倉殿の13人」の実像と背景を歴史学者がどう見ているか、大変よくわかります。

さて、呉座氏は、井沢元彦氏の「逆説の日本史」や百田尚樹氏の「日本国紀」を”通俗日本論”と罵倒し、さらに、八幡和郎氏に対し、

八幡氏への忠告① 評論家に歴史研究はできない

と馬鹿げた論争を挑んだ人です。他にも不祥事が重なり、「鎌倉殿の13人」の時代考証者から外されています。

私の眼には、分をわきまえない、極めて傲慢なワカゾウに映ります。

https://agora-web.jp/archives/2037979.html

しかし、とは言いながら、私は呉座氏の本の愛読者で、よく書けているなぁ、といつも感心して読んでいます。

さて、前置きが長くなりましたが、昨夜、呉座氏の敵、井沢元彦氏のユーチューブ動画「源氏物語  最大の謎」を聞きました。

https://www.youtube.com/watch?v=XVyGVJUnCnU&t=24s

やはり井沢氏の発想は、並みの歴史学者のレベルを遥かに超えています。

藤原氏の敵であり、罠にかけてまで追放した源氏(源高明)が勝利するような物語を書いた紫式部道長紫式部を罰するどころか、逆に、源氏物語の執筆をサポートしたのは何故か、という謎です。

江戸時代に、もし石田三成関ヶ原で勝利するような物語を書く作者がいたら、幕府はそのままにしておくだろうか、というのです。

さて、道長がサポートした理由を、井沢氏は如何に説明するのでしょうか。