石狩のワシ派、タカ派

札幌と石狩川流域の猛禽類の狩りと子育てを動画で記録します。

「応仁の乱」を読み始めました

タイヤ交換で腰を痛め、外出できないので、寝ながら呉座勇一著「応仁の乱」を読み始めたところです。

著者の呉座氏は、先日、ネットの「アゴラ」で繰り広げられた、百田尚樹氏の「日本国紀」をめぐる歴史論争で、在野の素人歴史家は口を出すな、というに等しい発言をして、あえて悪役を引き受けた、勇気ある、若きプロの(大学に所属する)歴史家です。

私も、野次馬としてヤジを飛ばした一人なので、「応仁の乱」はぜひ読んでみたいと思っていました。ベストセラーになるだけあって、確かによく書けています。まだ最初の1章を読んだだけなので、全体の評価ではありません。

呉座氏が意図したことかどうかは分かりませんが、解剖した遺体の腹部から、大量の寄生虫があふれ出てくるような、日本仏教の実体を、これほど活き活きと描写した本を、私はこれまで読んだことがありません。

私はかねがね、経済学は、数学の衣装をまとった歴史学と考えてきました。では、歴史学とは何でしょう。歴史学は、歴史的事実を因果の糸で綴る物語です。

ホイジンガの「中世の秋」を読んでも、ギボンの「ローマ帝国衰亡史」を読んでも、すぐれた歴史は、すぐれた歴史家の語る物語です。ひとつの戦争の原因、一人の皇帝の生涯を、たった数行で語るのですから。重大な決断の経緯が、数行で語れる、わけがありません。日々の政治を見ても、自分の平凡な人生を振り返って見るだけでも、誰にでもわかることです。経済学も歴史学も科学ではない、ということです。

在野の素人歴史家は口を出すな、と呉座氏はいいました。しかし、面白い歴史解釈は、素人の自由な発想の中からも生まれます。呉座氏の歴史観も科学的な真理ではなく、面白い歴史観のひとつに過ぎないのですから。

素人が口を出せるのが、ネット社会の重要な利点、と私は考えています。